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MALAKOFFは、BPと呼ばれる外周道路の南に面した町で、
パリ市内の喧噪が嘘のように静かな住宅地です。 このアトリエは8帖ほどのサロンと台所(キッチン+洗面+シャワー+トイレ)の2部屋です。もともとは彫刻家の藤江 孝さんが住んでおられたところで、築後50年ほどの古びたアパートです。 1階の南側に面しているため、仕事をするのに十分に陽が差し込みます。庭には藤江さんが使っていた作業台や作りかけの作品、木屑などがそのままの姿で残っています。 ここには、藤江さんの親友である小澤征爾さんとご家族、ピアニストの江戸京子さん、字幕翻訳家の戸田奈津子さん、映画監督の黒木和雄さんなど多くの方が訪れました。彼は今から14年前、小澤さんが中心となっているサイトウ・キネン・オーケストラをサポートするため帰国中に、病魔におそわれそのままパリに戻ることなく亡くなりました。1991年4月のことです。 藤江さんが亡くなられてから2年後、アトリエの掃除をするため訪れました。部屋の中には、埃をかぶったカレンダーに「東京行き」のメモが残されていました。それを見た時、ご遺族からアトリエを譲ってもらおうと思ったのです。 藤江さんは彫刻家であると同時に、映画や音楽、文学など芸術全般にわたって造詣の深い方でした。また広告の分野でも第一級のコーディネーターでした。その彼と出会ったのは70年代、私がまだ広告代理店に勤めている頃、伊丹十三さんが著書「女たちよ」の中で絶賛したフランスのファンデーション「LOU」(ルー)を日本に紹介する広告制作に関わった時のことです。TVコマーシャルづくりやスチル撮影をご一緒する中で小澤征爾さんを紹介してくださいました。パリオケの指揮にいらしてた時でしたか、三人で小澤さんのホテルの部屋で車座になってウイスキーを呑んだこともあります。藤江さんとの最後の仕事となったのは、CIアーティストとして画家のベルナール・ビュッフェ氏を起用した阪急三番街(大阪梅田)のリニューアルでした。阪急電鉄の小林公平会長(当時)とビュッフェ氏の邸宅で行われたプロヴァンス対談は藤江さんの見事な通訳なくしてはありえなかったことです。 東京での仕事が片付いたら当然フランスに戻るつもりで出かけた旅だったのに、そのまま病に臥した時は、どんなにMALAKOFFのアトリエへ帰りたかったことか。無念だったことと思います。 (文/大久保勝芳 2004年12月31日) 藤江 孝さんのHP http://www.napi.com/fujie2003 MALAKOFF市のHP http://www.ville-malakoff.net [オブニー] パリの日本語新聞HP http://www.ilyfunet.com ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() いかなる高名な音楽家といえども、Tanglewood Music Center敷地内に私物を残してはならないという不文律があるにもかかわらず、「たかべえ」と親愛をこめて呼ばれた藤江さんの人柄を偲んで音楽関係者が彼の思い出に白樺の木を植えました。 2001年7月31日、この木の下に、妹の藤江三千さんと小澤一家は藤江さんの遺灰を播きシャンパンで地を潤しました。小澤さんは、永遠にこの木が記念碑として残るよう木の周辺に新しく白樺の木を植えないように要請し、それが現在も守られているそうです。(文・写真/麻生節子)▲ ![]() ![]() ![]() 大久保勝芳個展2005
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