![]() Rue de la Vallee MALAKOFF ![]() 角に見える時計のある古い建物は去年(2004年)の秋に出かけた時 ちょうど取り壊している最中であった。いつも時計を見上げながら 小さな交差点を渡っていた。ゆっくりとした速度だが、何かが変わっていく。 アトリエの2軒隣はCIRTAという名の冴えない居酒屋。 昼間から近所の暇人がひっかけている。どうやら奥には玉突き台があるらしい。 時々は挨拶にでかける店である。 Rosebud Bar (Montparnasse) ![]() 文/Yann ANDREA (マルグリット・デュラスの最後の恋人)<juillet 1980> アトリエのあるアパート ![]() アトリエの隣の家 ![]() <mai 1991> L'Aterier de Scurpteur ![]() 藤江さんとゴールデンウイークに出会うつもりでチケットを買っていた。 何度かパリに電話をかけたが繋がらなかった。4月の20日前後だった。そして23日、友人から「藤江さんが亡くなった!新聞に載っている」という電話をいただいた。 22日の朝の死だった。 東京でのお葬式に参列してから、予定していたとおりパリに向かった。 昔、藤江さんの車に乗せられて行った彼のアパートを探しまわった。 住所を頼りに辿り着いた10 rue de la Vallee。アパートの中に入り、懐かしい庭をスケッチし始めた。彼の作業台の上に、造りかけの彫塑がビニールを被せて置かれていた。しばらくして隣に住むという女性が出てきた。 「藤江さんが東京で亡くなったんです」 親しくされていたのか愕然とされた。 「癌?」 「そう胃癌でした」 絵を描き終えて、その方の部屋で紅茶をよばれながら、しばらく藤江さんの思い出話しをしてお暇した。この絵は、手放せないものの一枚になっている。 <mai 1991> Rosebud Bar (Montparnasse) ![]() 藤色のネオン看板をつけたRosebud Barがある。薔薇の蕾。あのオーソンウエルズの映画の題名から名づけられたようだ。この店もやはり藤江さんの紹介で知った。 実は20数年前に、この店の名で個展を開いたことがある。 午後7時開店。夜が深ける程に常連客が集う酒場である。カウンターの隅に大振りの 薔薇の蕾が贅沢に活けられている。いつ訪れても、蕾。薔薇が開く頃には、次の蕾が運ばれてくる。この店に通いはじめてほぼ30年。 若かったギャルソン達の髪は一様に、制服である白い上着とかわらなくなってきている。 そういう客の自分もそうなのだが…。 <juillet 1988> Honfleur ![]() もともと大阪弁で通していることもあっていまさらデリケートなフランス語をどうこうしようとは思わないが、どうも現地の人は「オンフラー」に近い発音で呼んでいるらしい。 ここは、セーヌの河口の港町。帆船時代は造船景気でめちゃくちゃ栄えていたようだ。 10メートル近い潮の干満差があるようで、引き潮だと派手な塗料を塗った漁船が沼地のようになった海底にヘタっと横たわる。近くにドーヴィルやトローヴィルなどノルマンディ地方の名の知れた町がある。旨い魚料理とカルバドス…そして独特の風景。 なんて呑気な気分で絵を描いていたが、何10年か前だとナチスの影におびえながら路地から路地を逃げまどっていたのだろう。<juillet 1988> Bois de Boulogne ![]() パリへはほとんど仕事で出かけることが多かったので、クレパスをもっている ことはそうなかった。森の中の池の畔に座って、缶ビールを飲みながら仕上げたもの。 時差ボケも手伝って、頭の中真っ白な状態だったな。<juillet 1991> Honfleur ![]() ほんに旧港の奥に見える16世紀頃の町並みがそのまま水鏡のように海面に映り込んでいる。よく見ると、家達がお互いに凭れあってかろうじて立っている。 何百年も生きてきた同志のように肩をくみあって…。 すぐ傍でイーゼルに向かっている日本人らしい絵描きさんがいた。大森さんという横浜の人だ。カフェですこし話をした。この町がお気に入りのようで何枚も油絵にしているようだった。 <juillet 1988> Teatre de Chansonniers ![]() 二度ばかり覗いてみたことがあるが、いつもパラパラとしか客はいなかった。 先日(2004年)、パリに住む友人に聞いてみたら、「もう閉めちゃった」とか。 そうだろうね、陰気な店だったしね。<juillet 1980> Hotel du Nordの隣の店 ![]() 店の名前は覚えていないがこの絵を描いた時は、2階の席に猫が挨拶に やってきて、パンをくれだとか、ハムがいいんだとかいって 結構、食事の邪魔をしてくれた。小さくて可愛い店だったんだが、最近はアラブ系の 人に経営が移ったようで、流れている音楽がどうも砂埃っぽい。 <juillet 1980> Jardin du Luxembourg ![]() 鳥のさえずりを子守唄にいびきが聞こえてきそうなほど堂々とおやすみになっていた。「こんな感じになりたい!」そう思ったのが25年程前。 今ではあんな健康的な昼寝はできないだろうに。<juillet 1980> Le Jardin du Musee Rodin ![]() 彫刻もそうだが、裏庭はさらにいい気分にしてくれる。 でもやはりJeune fille au chapeau fleuri「花飾りの帽子の少女」(?)のほうがいいかも。 <juillet 1980> ケーブルのある坂 ![]() そう言えば、モンマルトルの辺りには随分行ってない。階段のステップを一つ一つ描かかんならんという意識が強うて面倒になる。<juillet 1980> Rosebud Bar (Montparnasse) ![]() <juillet 1980> Jardin du Luxembourg ![]() 誰か二人が座ったんだろう。残された椅子が話の続きをしているみたいだった。 <juillet 1980> アトリエ近く MALAKOFF ![]() 緑色の窓が気に入ってスケッチしていたら犬をつれた婦人が出てきて じっと見下ろした。おもむろに「この家もこの家も私の家」「…。ほしいんやけどなんぼで売ってくれる」と手まねをしながらおっしゃった。 今夜の飲み代!と思ったが、笑顔で断った。「まだ未完成ですから」 フランス語で正しくはどう言うのか知らんけど、ともかく犬とともに行き過ぎた。 ただ、あとでもう一度、交渉においでになった時は機嫌斜めの犬に吠えられた。 <le 2 novembre 2004> 夜。MALAKOFF ![]() ちょっと真似して、口に懐中電燈くわえて描いていたら 町の夜警みたいなおっさんがやってきて。 多分、「何してんねん?」 「見たらわかるやろ、絵かいてんねんや」と正式な日本語でいったら、理解したらしく 「Au revoir…」とつぶやいて何処かに消えた。言葉は大事だ。 <le 1 novembre 2004> Jardin du Centenaire, MALAKOFF ![]() 買い物に行く時は決まったようにこの公園を横切っていく。 100周年記念庭園とでもいうのだろうか。よう分からんので「100円庭園」と呼んでいる。 にしては嘘みたいに綺麗な公園である。<le 28 octobre 2004> Canal st. Martin ![]() 運河の水面を風が走る。ゲートがしまって水位の調整が始まった。 そのうちに貨物船でもやってくるんだろう。そうなると、スケッチは中断かなと 思っていた。また風が吹いた。バサバサとした音とともに枯れ葉が束になって落ちてきた。サンマルタン運河全体を一瞬のうちにオレンジに変えた。 もう先程までの風景はどこにもなかった。 <le 27 octobre 2004 > Rue de la Vallee , MALAKOFF ![]() 谷(Vallee)通りとでもいうのだろうか、半径50メートルほどのカーブの 中程にアパートの入り口がある。 道が左右に分かれているが、そこに可愛い三角公園がある。 そろそろ11月になるのに青々としている。 <le 26 octobre 2004> Bois de Vincennes ![]() 4、5頭の馬の背に子どもたちが揺れらながら通り過ぎる。 風はほとんどない。静かに時間も過ぎて行く。 3時間ほどベンチに腰掛けていただろうか。ふと、景色に変化を感じた。 先ほどまで手にしなかった黄色系のクレパスを無意識に選んでいた。 風景に溶け込んでまどろんでいるの間に 季節は先きにすすんだのだろうか。 <le 24 octobre 2004> La Seine ![]() 一方通行にしているからいいものの、でなかったらしょっちゅう 衝突事故が起きるのだろう。 これまで、パリに出かけてもセーヌをスケッチすることはなかった。 どのポイントで描くかを決めたのは遅めの昼飯をどの辺りでとるかであった。 ここなら、St.Michelに近いし、ノートルダムの後ろ姿も眺めることができる。 ただ、観光客の多い中でスケッチをすることは少々勇気がいった。 <le 22 octobre 2004> ![]() アトリエの由来 大久保勝芳風景画展2006 < 前のページ次のページ >
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